
2012年10月12~13日の二日間、
国道45号に沿って、
八戸~久慈~野田~宮古~山田~大槌~釜石~大船渡~陸前高田~気仙沼~歌津~志津川~石巻~松島~塩竈~仙台
と車を走らせた。
何もできないのに行ってもいいものだろうか?とか、どんな気持ちで行ったらいいんだろう?とか、自分の中でもいろいろ葛藤があって、これまでなかなか重たい腰を上げることができなかった。
それでもテレビとか写真じゃなく、自分の目で見たかった。
国道45号は復興の大動脈。
大型車がひっきりなしに往来して、いたるところで重機がガコンガコンと作業を続けていた。
たった2日間、通り過ぎるようにして見ただけで、本当のことは何も分からないかもしれないが、
1年7ヶ月が経って、かえってこちらが勇気付けられるぐらい活気を取り戻しつつある街もあれば、
まるで時が止まったかのような街もあった。
あちこちに仮設住宅が見受けられて、まだ何万人もの方々が本来の日常を取り戻せていなくって、
1年7ヶ月も経っているのに、まだ全然終わっていないのだな。とあらためて思った。
遠目に野原のように見えたところが、近づいてみるとあちこちに住居の基礎だけが残っていて、
もとは街だったところなのだと愕然とする。
テレビで見たりして知っているつもりだったけど、自分の目で見て、どれほどすさまじいことが起きたのか初めて触れたような気がした。
なぜだか、被災地にレンズを向けることができなくて、今を伝える写真を撮る事ができなかった。
1年7ヶ月も経ってこれほどなのだとすれば、
被災された方々や震災直後に支援で被災地入りした方々は、どれほどの光景を目の当たりにしたのだろうと思うと、頭が下がります。


